Journey

昔、世界一周を終えた友人が「荷物はバックパック1つで生きていけるんだ」と言っていた。何気ない一言だったけれど、ふとしたときに思い出す。人生は旅のようだ、なんて聞き慣れた言葉だけど、きっと本当にそうで、何もかも全てを背負って生きていくことは無理なんだと思う。

 

この一年間のわたしを振り返ると、とにかくよく泣いた。喜怒哀楽がそこまで激しくない上に、感情表現もあまり得意ではないので、自分でもびっくり。心が千切れそうになる、こんなにも揺さぶられることがあるなんて、辛いことではあったけれど、自分の知らない自分がまだあったとなぜだか穏やかな喜びもある。

 

去年の今頃こころをときめかせたひとは今はもう連絡も取っていないし、会ったこともなかったひとが腹を割って話せる友人になっていたりする。1年はあっという間のようで意外と長くて、気がつけばなにもかも変わっている。だって1年で結婚も出産もできるよ、なんて。かと思えば、いつまでも変わらない関係もあって、それには少し安心する。

 

欲しいもの全ては手に入らないけれど、必要なものはきっと必ず手に入れている。今わたしが欲しいものは、もうそれが純粋な気持ちなのか、固執しすぎてエゴになってしまっているのか分からない。なんとかなるなんて楽天的な気持ちではいられないし、縋るようになんとかなってくれと願うしかない。読めない未来は少し怖くて、それでも少しだけ期待して、来年の今頃にはできればわたしが望むなら形で叶っていますように。

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つらいことの起こらない、波風の立たない世界で暮らせるのなら、そうやって生きていきたいのだけど、辛いことは起きるから、そのかわり絶対に楽しいことも起きるから、いつの日かの甘みを噛みしめるため、閉じ込める必要があるのだと思う。覚悟をしなければ、それらはいつまでも終わらない。温かい場所に居たいけれど、ぬるま湯はいつかきっと冷めてしまうから、最後の瞬間だけ、チクっとした痛みに耐えられれば、いつでも取り出せるから、生きていくために、つらい日常を乗り越えるために、特別な非日常をわざと作る。さよならをする。忘れるんじゃない、いつの日かのために、心の奥の奥のほうにしまい込む。そして、ちょっとしたおまけで、大きすぎて見えない何かを、誰かの言葉で教えてもらえたら、気づかせてもらえたら、考えるきっかけがもらえたら、きっとそれがわたしを幸せにさせるのだろう。

 

 

愛の言葉

好きなひとに好きになってもらいたい。

 

なんて幼稚な言葉なんだと思いつつ、浮かんできたその気持ちを消すことは難しかった。

 

今日、人生で初めて結婚式に出席した。

いや、本当は従兄弟の結婚式にも親族として出席したことはある。だけど、幼かったからか、正直に言ってあまり記憶にはない。最近で言えば、先輩に招待していただいて二次会に参加したこともある。だけど、キリストの前で誓う結婚式、というか披露宴とか二次会とか、そういった結婚式に関する一連の全てに出席したのは初めてだった。

 

招待してくれた友人は20年来の友人で、おそらく幼馴染というようなものだと思う。名前順も背の順もいつも近くて、ほとんどは私が彼女の1つ後ろだった。だから仲良くなったのか、といえば、たぶんそうではなく、私たちはちょっと特殊で、小学校の低学年のころからクラブチームで水泳をしていた。いわゆる部活ようなもので、毎日3時間、休みは週に1回。その1日でさえ、学校に行けば彼女を見かけた。好みの歌も洋服も、決して話が合うわけじゃなかった。それでも、一緒にいる時間が長かったからか、気がつけば色々なことを共有していた。

 

同級生だったけれど、どちらかというと私は姉のような立ち回りで、彼女の面倒を見ることが多かった。面倒を見る、という表現は公平な立場であるはずの友人として少し語弊があるかもしれないが、わがままで甘えん坊な彼女はよく拗ねていて、ほおを膨らます姿は未だに容易に思い浮かぶ。さすがに最近はそんな姿も見なくなったけれど、それでもあの頃の記憶は鮮明で、そんな彼女が結婚するほど大人になったのかと思うと、感動させるための演出だと知っていたが自分でも驚くほど泣いていた。

 

私たちの中でたぶん彼女が1番早くに結婚するだろうと思っていた。高校を卒業したら結婚するかなあ、なんて、みんなで言っていたから、むしろ24歳だったら遅いくらいだって笑ったけれど、自分としてはもう結婚するの?まだ早くない?というような気持ちもあってちょっと複雑。それでも最近は色々な場面で大人になったと感じることが多くて、結婚というワードもかなり身近なものとなった。

 

恋愛と結婚は別、生きていく上でのパートナー、なんて言葉も聞く。そしてたぶんそれは間違っていない。わたしだってせっかく生きていくなら上手く生きたいし、できる限り幸せに生きたい。わたしが好きなひとと、わたしに合うひと、それが必ずしも同じではないってこともなんとなく感じてる。

 

だけど今日は、どの場面がとかどのエピソードがとかは特にないのだけど、帰りの電車で気がつけば冒頭の言葉が頭の中を占めていた。

 

好きなひとに好きになってもらいたい。

 

中学時代のことをたくさん思い出したからかな。だから中学生のような夢見がちな発言をしているのかもしれない。

 

ただ、なんとなく。新郎新婦の幸せそうな顔を見たら、そう思っていた。できることなら、あんな幸せそうな顔をわたしの好きなひとにしてほしいなあ、なんて。

 

たぶん結婚とは生活で、今日は式典だから、特別な晴れの日なだけ。日常は当たり前のように始まって、続いていて、そんな日々の暮らしの中だと、一緒に居て楽に生きていけるひとがいいと思ってはいるんだけれど。それでも、できれば、わたしの一生に一回の晴れの日は、わたしの大好きなひとと迎えられたらいいのにな。

 

本当の1番の理想は、わたしの好きなひととわたしに合うひとが同じで、結婚式も最高に楽しいパーティを一緒に作って、日常もほどよく楽に暮らしていけたらいいんだけれど。中途半端に大人になってしまったわたしは、そんなことは難しいんじゃないかと悩むわけで、そもそもそんな日はいつ来るのやらという状態で。いくら考えても計画しても上手いプランは思い浮かばず、ただ時の流れの速さと短い残り時間に恐怖を感じながら、それでもやっぱり理想を求めるから、わたしは理想が高いと言われてしまうのかな。

 

ともあれ、初めて呼ばれた結婚式が彼女のものでよかったなと思うし、言語化の難しい不思議な気持ちがいっぱいなのだけど、まずは本当におめでとうございました。だいすきな友人に、幸あれ!

 

You are what you eat.

月が替わって誕生日よ!ということで、24歳になりました。0:00に1件もメッセージが届かなかったんだけど、これが大人になるっていうことなのかな。

とはいえ、皆さんに祝っていただきまして、普通に会社に行って仕事をする平日でしたが、悪くない誕生日でした。しかし、まあ、自分が24歳って信じられない。確かに17歳でも20歳でもなくて、仕事に少し慣れ始めた社会人2年目で、お肌の曲がり角を過ぎてちょっと心配するようになって、と考えれば、24歳になったのかも、そんな感じ。そもそも今まで生きてきて、誕生日当日に急に年を取ったなんて実感する経験なんてなかったし、まあ仕方ないか。

ただ、小さい女の子が持つ誕生日に対するワクワク感とドキドキ感は、24歳一人暮らしOLにはそうそう持てるものではないわけでして。じゃあ日常の中でどうやって年を取ったことを自覚するのかというと、あえて節目を付けることなのかな、と、まあ、そこまで深くは考えてなかったんですけど、24歳は「You are what you eat.」をキーワードにしたいなと思っております。

込めた思いは二通り。そのままの意味通り、食事に気を付けたいという気持ちと、もう少し概念的な、環境とか時間とか自分を構成するものを丁寧に選び取りたいという気持ち。

前者に関しては、なかなか習慣を変えるのは苦戦しそう。年を取ると無理がきかなくなるっていうのを実感しつつあるし、偏食とか小食とか言ってる場合じゃない、って分かってはいるんですけどね。でも、だからこそ、あえて意識的に言葉にして落とし込もうと思っていた時にこの言葉を見つけて、あぁこれだ!と。後者に関しては、ありがたいことにって言っていいのかよく分からないけど、仕事もプライベートもやらなければいけないことが増えていて、結構きついのでパンクしないよう選び取っていかなきゃね、という自戒です。

ちなみに23歳はキーワードじゃなくてテーマソングだったんだけど、なかなかいい感じの1年になってくれました。贅沢は味方、贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね、季節を使い捨て生きていこう、なんて思っていたら、新しい人に出会い、あっという間に時が過ぎていたので、そんな感じで24歳も素敵な1年になればいいなあと思っております。みなさん、何卒!

 

 

 

2017年にやりたいこと

大学4年生の秋くらいから、この記事(エルメスの財布はまだ持たない。 | 隠居系男子)と似たようなことをずっと考えている。終わりが見えてようやく気付くなんて馬鹿みたいなんだけど、学生生活が終わることを自覚して、はじめて時間の大切さとか使い方とか、「今しかできないこと」を強く意識するようになった。

学生生活最後の1年はわりとやりたいことをやっていて、金髪にしてみたり、東京でシェアハウスに住んでみたり、社会人になってから実行するのは難しいであろうことはやってみたので、あんまり後悔はない。ただ、「今しかできないこと」があることに、もっと早く気が付ければよかったのになぁと思うことはある。22歳になって、学生時代にしかできないことがあるんです!とか、10代のうちにしかできないことがあるんです!なんて、そりゃ気が付くのが遅すぎるわな。

とはいえ、「今しかできないこと」に「今」気づくのは難しい。23歳の今しかできないことってなんだろう。わからないから、とりあえず「今やってみたいこと」をやってみる。たぶんフットワークが軽くいられるのも今のうちだけだしね。

 

【2017年やりたいことリスト】

・ゴルフ(気づいたらみんな始めてるし、教えてほしい)

・ダイビング(免許取得するのもアリ)

・マリンスポーツ(たぶん下手だけど、仮にも元スイマー)

・乗馬(貴族のお遊びって感じが優雅でかっこいい)

・スカイダイビング(人生で1度は空を飛んでみたい)

・ビリヤード(ただただかっこいい)

・ハモネプ(楽器弾けないけど、バンドとか組んでみたい)

弓道(袴に黒髪ポニーテールの凛々しさよ)

・日本舞踊(たぶん習い始める、そんな予感)

・ランニング・水泳(日常的に体を動かさないと、っていう危機感はある)

阿波踊り(徳島の本場に行きたい)

屋久杉(1度は見てみたい)

富士登山(たぶん無理)

・スキー・スノボ(海側の人間なので、人生で1度しかやったことない)

・ダーツの旅(時間があれば、めちゃくちゃなことやりたい)

・フィールサイクル(TVで見て以来、ずっと気になってる)

・ボクシング(必殺の一撃をお見舞いしたい)

天体観測(とくに流星群が見たいなぁ)

・音楽フェス(ミーハ根暗サブカルなので、行ってみたいと思いつつ行けてない)

・カメラ(撮らないうちに、元々ない腕が更に落ちてしまった)

・ライブ(生きていくには糧が必要)

・脱出ゲーム(ちょくちょく行ってるけど、やっぱり好き)

・駄菓子バー(普通に気になる)

DIY(最近のわたしといえばコレ)

・週1新習慣(毎週なにか新しいことを取り入れるというのが面白そうだったので)

・温泉(特に行きたいのは炭酸温泉)

冬の花火(エモさハンパない)

・まだ訪れたことのない日本のどこか(北のほうはほぼ未開)

・海外(今年こそは、どこかしらへ)

 

去年、というか正確にはもう一昨年なんだけど、大学4年生の時にSNSに挙げた「わたしのやりたいことリスト」は、それはもう無茶苦茶なことを書いていたのに、意外と半分くらいは達成している。単純にその記事をきっかけに話しかけてくれたりして話題になるし、真似してリストを作っている人もいたりして、ちょっと嬉しかった。今回はかなりまとも、実現可能性の高そうなことを書いたので、興味があれば是非。上に書いたこと以外でも、面白いことやりたいんだけど誰かいないかなってときに誘ってもらえれば、すぐに返信できるようスマホを握りしめてお待ちしております。